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切り捨て御免とは
まず初めに切り捨て御免とは、何かについて解説します。
簡単に言うと武士の持つ特権の一つで無礼を働いた町人や農民を切り捨ててもよいという法律です。
当時、多少の無礼があってもほとんどの武士は切り捨て御免を行使せず見過ごしていました。
切り捨て御免 嘘・誤解
切捨御免は武士に許された特権でしたが、切り捨て御免を行使した場合、速やかに役所へ届けとその正当性を証明する証人が必要だったのでそう簡単に行えるものではありませんでした。
もし、斬り捨て御免の正当性を証明できなかったら「辻斬り」という殺人になり本人は、ほぼ切腹、さらに家名断絶となり家族も路頭に迷うことになります。
たとえ切捨御免の正当性を認められてもに人命を奪ったという道義的責任で長期間の謹慎処分にされました。
しかも「無礼者っ!」とバッサリ切ろうとしましたが失敗すればこれまた切腹に・・・。
なので実際に切り捨て御免を行使する武士は、いませんでした。
武士が無礼を働いた町人を切捨御免にしようとしたところ、逆に町人が武士の刀を奪って武士を切り殺してしまいました。人々は、その町人には重罪に処されると思われましたが、なんのお咎めもありませんでした。その理由は「武士が町人に斬リ殺されるはありえない」からだそうです。
切り捨て御免 実例
切り捨て御免の実例で有名なのが生麦事件です。
文久2年(1862年)8月、武蔵国生麦村で馬に乗った英国人4名が薩摩藩主島津茂久の父・島津久光の行列を横切ったとして薩摩藩士に切りかかられ、内1名が死亡。薩英戦争が原因となりました。
当時の感覚では、英国人が馬に乗ったままだったから無礼打ちにされたのであって、そうでなければ身柄を拘束されるだけで済んだのではないかといわれています。
実際、大名行列を横切ったとしても多くは、切られることはなく身柄を拘束され事情徴収を受け厳重注意、丁重な謝罪を受けて釈放というのが原則だったようです。
産婆、医者、飛脚は職業の特性上大名行列を横切っても良いとされました。
まとめ
以上の理由で切り捨て御免を行使する武士は、ほとんどいませんでした。
TVで見る斬り捨て御免のイメージとは、全く違うと思いませんでしたか。
本当に切り捨て御免にできたのは将軍家と御三家の一行だけだったと言われています。
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