賛否両論がありましたが安倍元総理の国葬が27日終わりました。
参列した人は、4183人ということです。
また、献花に訪れた人は2万3000人ということです。
政府発表
なかでもインドのモディ首相が日帰りで国葬に参列してくれたことは印象的でした。
ただ、G7から出席がないと報道されています。
これについては、ニューヨークでの国連総会と重なったので時期が悪るかったという意見もあるようです。
もっと違う理由(日本の影響力低下?)なのか本当のことは、一庶民の私には当然わかりません。
2000年小渕元総理の自民党・内閣合同葬には、アメリカからクリントン大統領、韓国から金大中大統領が来訪。東南アジアからは、フィリピン、インドネシアの大統領、タイ、カンボジア、マレーシア、ラオスの首相が弔問に訪れた。
さて、ここからが本題になります。
この記事では、外国の地で尊敬され国葬で送られた日本人を3人紹介します。
外国で国葬された日本人
外国で国葬が行われた日本人安達峰一郎氏、近藤恒子氏、西岡京治氏の3人を紹介します。
安達峰一郎氏(1869~1934)
安達峰一郎氏は、世界平和への貢献を称賛され、オランダ政府から国葬の礼で弔われました。
第1次世界大戦後、ハーグ対独賠償会議で英仏が対立した際には、日本流の茶会に両国の代表を招いて和解させた逸話があります。
近藤恒子氏 (1893~1963)
看護師の近藤恒子氏は、旧ユーゴスラビアで国葬となりまた。
近藤恒子氏はユーゴスラビア出身の軍人イワン・スクシェク氏を看護したことがきっかけとなり2人は結婚して夫の故郷ユーゴへ移住しました。
第2次大戦中も看護師として活躍した。戦後に夫が亡くなってからも現地にとどまり、テレビやラジオを通じて日本文化の振興に貢献し、62年には赤十字最高勲章を受章しています。
西岡京治氏(1933~19992)
海外技術協力事業団(現JICA)の一員としてブータンへ派遣された。後に「農業の父」と尊敬を集めた西岡京治氏はブータンで国葬となりました。
それまでブータンは不安定な焼き畑農業でしたが西岡氏は水田耕作に転換させ、自給自足もままならなかった農業を主要産業に発展させました。
まとめ
今回外国の地で偉業を成し遂げ国葬された偉人を3人紹介しました。
あっさりと記事を書きましたが私には想像もできない大変な困難があったと思います。
外国の地で尊敬された大先輩に恥じぬよう精いっぱい努力して生きていこうと思いました。